どうにか乗り切った1日。 優未はバイトがあると言って、ホームルームが終わったと同時に教室を飛び出して行った。 あたしは、ゆっくりと帰り支度をしていたら、 いつの間にか教室内には人がいなくなっていた。 誰もいない教室にいるのは、今日は2度目。 夕方の教室は、朝の教室とはまた違ってすごく風情がある。 オレンジ色の夕日が教室に差していて、 開いている窓からは、朝と同様に、グラウンドで部活をする人の声が聞こえる。 授業とか、優未との会話とか、集中しようとするほど、 不思議なほどひとつも頭に入ってこなくて、結局は、ずっとぼーっとしていたに近い。 こういうときは、眠るに限る。 眠れなくたって、ベッドに入って目を閉じればきっと眠れるはず。 早く帰って寝よう。 そう思って、鞄を片手に教室を出て、廊下を歩きはじめた。 そして、今日は優未に心配をかけたから、 [ごめんね]と[ありがとう]のメールをしようと、 携帯を開いたところだった。 「谷田?」 誰かに声を掛けられたので、あたしは振り返った。 亜樹「あー…田原先生。…さよならー。」 田原「待ちなさい!さよなら、じゃないわよ。」 亜樹「えー…何ですか。」 田原「今日の授業態度について、教科の先生から注意入ってきたわよ?」 亜樹「え?誰です?」 田原「数学の相澤先生。」 亜樹「田原先生。今更何言ってるんですか。相澤先生はいつものことじゃないですか。」 呼んできたのは担任の先生だった。 この田原先生は学年指導の女教師。 ちなみに、相澤先生って言うのは、数学担当の男教師で、 推定40代、独身、ネチネチな性格が生徒にも嫌われていて、 ついたあだ名は「ネチ相澤」と「ノットマリッジ相澤」。 田原「それでも、今日のは特にひどく言われたのよ。」 亜樹「お疲れさまでーす。」 田原「相澤先生の授業では気を抜かないでちょうだい。」 亜樹「そんなこと言ったって、生徒にだっていろいろあるんですよー。」 田原「何を生意気に…。」 亜樹「それじゃ、帰りますね。」 田原「だから待ちなさい。」 亜樹「まだ何かあるんですか。」 田原「これ、プリントのホチキス止め、今日中にやっておいてちょうだい。」 亜樹「は?」 田原「は?じゃないわよ。よろしくね。」 亜樹「ちょ、何であたし?」 田原「あなた今日注意されたでしょ?バツとしてちょうどいいじゃない。」 亜樹「はぁ?」 田原「それじゃ、終わったら相澤先生の机に置いといて。」 亜樹「ちょ、これ相澤先生の?」 田原「そうよ。」 亜樹「あたし1人でやるんですか?」 田原「部活をやってる生徒以外もう帰ったでしょ?」 亜樹「う…」 最悪。 こんなことなら、遅くまで教室に残っていないで、 優未と一緒に早く教室から出て帰るべきだった。 まぁ、そんなこと思ったって、現実は変わらない。 あたしの両手に詰まれた大量のプリントたちは減らない。 何かしてれば気が紛れるだろうか。 あたしは、少し気合いを入れて、1度プリントを廊下の隅に置いて、 腕に掛けていた鞄を肩にかけ、プリントを両手に抱え、また教室へ戻った。 太陽も沈み、夕闇の中、教室の電気をつけて、 プリントをまとめながら、ホチキスで止めてた。 あと、3ヵ月で卒業か・・・。 ちなみに今は、12月。 3年間、早かったな。 こんなに高校を卒業したくないって思うのは、 今朝の伸哉の言葉が引っかかってるからなのかな。 そんなことを切なそうに思いながらも、 手だけはしっかり進めていた。 時刻が19時を回った頃には、外は完全に暗くなっていた。 月が見えるほど、学校に残るなんて完全に予想外。 けれども、まだプリント止めが終わらなくて、少し焦りながらやっていたとき、 『ガラッ』っとドアが開いた。 伸哉「さみー…。…って、亜樹?まだ残ってたんかよ?」 亜樹「伸哉!え、もしかして夜練も出てたの?」 伸哉「あぁ。もう受験近いしさー、完全に息抜きしとこうかと。」 亜樹「あー…そなんだ。」 伸哉「亜樹は何してんの?何その大量のプリント。」 亜樹「あ、これ、田原に頼まれちゃって。」 まだ・・・学校に残ってたんだ。 夜練をやる人たちは部室にバッグを持って行っちゃうから、 残ってるなんて知らなかった。 もう・・・今日はできたら会いたくなかったな。 伸哉「げ!田原のババァこんな量1人に頼んでんじゃねぇよなー。」 亜樹「あー・・・今日、ぼーっとしてたバツだって。」 伸哉「何だそれ。こじつけじゃね?」 亜樹「うん、こじつけだねー。」 伸哉「最悪だなー…。」 亜樹「あたし、今日、相澤に目ぇつけられたみたい。」 伸哉「マジ?…ってそういや、お前、今日変だったよなー。ったく、しょうがねぇなー・・・」 亜樹「・・・帰るなら帰ったほうがいいよ。もうじき正門閉まるし。」 お願いだから早く帰ってよ。 今日は一緒にいても辛いだけだから・・・。 伸哉「何言ってんの。手伝うし。2人のが早いだろ?」 そう言いながら椅子に座って、 ホチキスを止めるのを手伝い始めた。 伸哉「これとこれ止めればいい?」 亜樹「ちょっ、伸哉!疲れてんでしょ?いいって・・・。」 伸哉「・・・疲れてっけど、手伝うよ。」 亜樹「でも…」 伸哉「あー…もう!俺が手伝いたいから。それでいい?」 亜樹「・・・・・ありがと。」 伸哉「おー。」 参ったな。 本当、伸哉には適わない。 ま、ぼーっとしてたのは伸哉のせいなんだけど。 『カチッ』『カチッ』 静かな教室にホチキス音が鳴り響く。 そんな沈黙をいきなり破って、伸哉は口を開いた。 伸哉「今朝さー…言いかけたこと言っていい?」 亜樹「え・・・!し、進路・・の話?」 伸哉「そう。亜樹には話すつったじゃん?」 亜樹「・・・誰にも話してないの?」 伸哉「あぁ。そもそもうちの高校じゃ、付属行くやつらばっかだし、進路なんて話題なんねーじゃん?」 亜樹「それもそっか。」 伸哉「俺さ、U大に行きたいんだ。」 亜樹「U大って県外の・・・?」 伸哉「ん。将来のこと考えると、やっぱU大しかなくてさ。」 夢の話をしてくれた伸哉はひどく輝いて見えた。 そんな伸哉の気持ちを否定する資格なんて、あたしにはない。 今のあたしにできることと言えば・・・ 亜樹「あたし応援するね。」 伸哉「ん?」 亜樹「応援する。」 伸哉「・・・どーも。」 伸哉が将来"なりたいもの"については、前に少しだけ聞いたことがあった。 友達とふざけあって騒いでいた中で、 伸哉自身も冗談めいて言ってたし、正直、信じてなかった。 でも実際は違った。 伸哉「・・・話してよかった。」 亜樹「え?」 伸哉「やっぱ亜樹だよな。バカにしたりしねーし。」 亜樹「あたしじゃなくたって、夢持ってる人をバカになんかしないよ。」 伸哉「そうでもねぇだろ。エスカレーターで入れるのにそこ蹴るんだぞ?」 亜樹「…」 伸哉「前に将来の夢の話、したことあんの覚えてる?」 亜樹「うん。」 伸哉「あん時も、お前だけ真面目に聞いてくれてたもんなー。」 やばい・・・! 何言ってんの? 照れる。 顔が熱くなってきたのがわかった・・・。 亜樹「そ、そうだっけ?」 伸哉「そうだよ。」 亜樹「だ、だって夢とかあるの立派じゃん。」 伸哉「そう?じゃ、そういう亜樹だって立派だな。」 亜樹「え、あたし?」 伸哉「亜樹だって夢あんじゃん。立派コンビだな、俺ら。」 亜樹「立派コンビ?!何そのネーミングセンス!」 伸哉「突っ込みどこ、そこかよ!」 亜樹「そこでしょ!」 あたしも夢はある。 だから、おこがましいかも知れないけど、伸哉の気持ちはわかる。 夢のことで迷ったときはいつも思い出すんだよ。 伸哉があたしにくれた言葉を。 3.帰り道 閉じる